2017年10月号掲載「みんなが笑顔で暮らせる島へ」

2017/09/30

■仲間 久美子さん 長女 百恵ちゃん(6歳)
ピアサポート「あまいるの会」会長
宮古病院臨床検査技師


普通の生活を諦めない活動

医療ケアを必要とする児童とその家族のみなさんが社会から孤立しないよう親睦を深め、情報を提供し合うことを目的とした「あまいるの会」をご存知ですか?今回の取材は「あまいるの会」会長の仲間さんにお話を伺って来ました。

■会を立ち上げたきっかけは?
私は宮古病院で臨床検査技師として勤めていますが、昨年小児科にいらした浅井先生より障がい児の家族会を作らないかと提案がありました。お話をいただいた時は具体的にどういう活動をしたらいいのか分からず戸惑いましたが、とりあえず私が会長ということで発足しました。現在の活動としては月に一度、あさひっこ保育園で集まり、親同士で情報交換をしたり、宮古病院で小児科の先生や看護師、福祉関係の方との会議を行っています。福祉サービスの情報は市役所の福祉課からだとどうしても移動や転勤で担当者が変わり、情報がまわって来ないことが多く、先輩お母さんから得ることが多いです。同じような立場にある人がお互い支えあうことをピアサポートと言いますが、あまいるの会はまさにピアサポートです。現在約15家族が参加しています。

■仕事をするうえでのサポートは?
モモは脳の形成障害、滑脳症という病気です。お腹のなかにいる時、脳が正常に発達出来なかったのです。歩行が出来ず、座位を保つことも出来ません。口から食べ物を取ることが出来ず、お腹に穴を開け胃ろうで栄養を取っています。産まれた時は感染に弱く、すぐ風邪をひいて肺炎を起こし、三回ほど危篤状態になりました。沖縄本島にある南部医療センターで三ヶ月ほど治療入院しすごく丈夫になりました。現在は風邪をひいても自分で治せるようになりました。三年間育休を取ったんですが、仕事復帰の際、預ける場所が無く、主人の母親が保育園を経営しているので、市役所に掛け合い聞き取り調査や審査をしていただき、モモ一人に保育士と看護師を付けることが条件と言われどうにか探して入園出来ましたが、一人の児童に保育士、看護師を付けるのは赤字になります。私の場合は、主人の母親の協力もあり仕事に復帰することが出来ましたが、障がい児を持つ母親が仕事をすることは難しいと思います。

■宮古島の支援状況は?
今はチャイルドサポートという障害児専門の児童デイもでき、個人でアグレッシブに動いていただいている方もいますので、以前に比べると暮らしやすくなってきたかと思います。数年前までは支援施設がまったく無い状況で医療ケアが必要な子を持つ家族は沖縄本島に引っ越して行くのがほとんどだったと聞いています。私は沖縄本島の出身なので引っ越すことに抵抗は無いんですが、主人にとっては生まれた島であり、義母としても近くにいて欲しいと思います。今年、支援学校に入学したんですが、去年まで支援学校には看護師がいなくて通学するには親が付き添わなければいけなく、先生が時々自宅に来る訪問教育にして下さいと言われていました。親の付き添いが無ければ義務教育が受けられない状況だったんです。私は仕事をしながらそんなことが出来るはずがなく、亀浜県会議員を通して県に陳情書を出してもらい、実際に参考人招致として家族全員で県議会に訴えてきました。沖縄県は医療ケアの要項が他の県に比べて20年程遅れていると言われています。医療ケアが必要な子は親の付き添いが無ければ学校に通うことが出来なかったんです。普通に学校に行って、普通に仕事がしたい、医療ケア児だからと諦めてほしくないんです。週2回の付き添いが条件で入学しましたが、六月以降は緩和され、今は付き添い無しで通学出来るようになりました。でも学年があがり担任の先生が変わるたびしばらくは付き添わないといけないと聞いております。まだまだ改善して欲しいところが沢山あります。

■今後の活動は?
来年、再来年と支援学校に入学してくる子供達は増えます。救急車の待機所を学校の近くに置いてほしいです。重責発作を起こしかねない子供達もいるので現在の場所からだと学校から病院まで救急車でも30分は掛かります。常に不安に思っています。そういった問題を話し合い、意見をまとめて改善を求めていく活動をしていきます。障がい児を持つ家族が安心して普通に暮らせる環境を整えていきたいです。

あまいるとは宮古島の方言で「笑う」という意味です。現状に満足せず、諦めず、自分たちで住みよい島にしていこうと頑張る仲間さんの話しに勇気をもらいました。入会を希望の方はメールや関係者の方まで連絡して下さい。

HP http://www.amairu.co