■金城 直敏さん
宮古島壺屋焼 金城陶芸
先人たちの思いを次の世代へ
皆さんは琉球王朝時代より400年も続く壷屋焼を知っていますか?先代から引継ぎ自分の陶芸を追い求めていく金城陶芸の金城さんを取材してきました。
■自己紹介(経歴)をお願いします。
下地出身、宮古高校を卒業。その後滋賀県の草津でエアコンの室外機を作る仕事を2年間続け、専門学校の資金を貯めました。それから、大阪の音楽の専門学校に行き、2年間学び、Rhycol.という名前のバンドを結成しました。ボーカルとギター、作詞作曲を担当。レーベルにも所属し、大阪を拠点に全国でライブ活動、ツアーを展開、約10年間精力的に活動していました。その後、30歳を迎え新しいことに挑戦したいと思い、未経験から広告代理店に内勤、グラフィックデザイナーとして就職しました。未経験ながら、大量の制作物を持ち込み、熱意のみで採用していただきました。そこから約5年間、DTPに打ち込みました。そして、35歳を迎えた辺り(正確には33歳ごろから2年ほどかけて)で、自分のルーツに興味を持ち始め、家業である壺屋焼が長年継承されてきた陶工であると知り、やちむん作りの仕事に興味がでてきました。そして、自分が今までやってきたことが、やちむん作りに繋がりそうなこと、ものづくりが好きなことを再認識し、父親の仕事を継ぐことを決意して、約6年前に宮古島に帰ってきました。そこからやちむんを作る陶工として、日々精進しています。
■宮古島で開窯したきっかけは?
壺屋焼きは那覇市壺屋の発祥で400年の歴史を持っています。私の父は壺屋出身、母は那覇生まれ那覇育ちです。母方の両親が宮古島出身で、宮古島にはやちむん文化がないことを知り、それを広めたい、風光明媚な宮古島で創作活動がしたいということで、僕が生まれた年、41年前に下地与那覇で金城陶芸を開業しました。
■今後の展開を教えてください。
元々、両親2人でやっていましたが、僕がコロナが広まる直前に帰ってきて、中々大変な思いをしました。やちむんの制作販売を一筋でやってきた両親にリスペクトを持ちながらも、制作販売だけではこの先広がっていかない、もっと広めたい、やちむんを使った何かほかにできることはないかと色々考えて、やちむんをコンセプトにした宿、「てぃぐまの宿」をはじめました。手洗いボウルやライトカバー、インテリアから食器をやちむんで統一した宿泊施設です。もう3年になりますが、国内外からとても良い評価をいただいてます。
また、中級者上級者向けにやちむん作りのサブスク、「作陶倶楽部あしびなー」を運営しています。トライアルを経て一旦休業していますが、時期をみて再開を予定しています。今は、主に制作、陶芸体験(一部ホテル様のみ)、宿泊施設の運営をメインにしています。今までもこれからも、やちむん×何かを常に模索して行きたいと考えています。それが遠回りした自分にこそできることだとも考えています。もちろん全て自分の技術が前提なので、既存のものだけではなく、新しい創作にも挑戦し、技術の向上に努めていきます。手仕事の良さをもっと伝えていきたいし、先人達が残してくれたものを未来に繋ぐことも大切、それだけではなく自分の代で何ができるか、自分がこの仕事を受け継ぐ意味をしっかり胸に留め、常に挑戦的、積極的にこの仕事と向き合っていきたいと思います。
お話をお伺いし、金城さんの代々家業である壺屋焼きへの思いを感じました。ぜひ皆さんも金城さんの作った陶芸品を手にしてみて下さい。


