楽しみながら島に貢献したい

楽しみながら島に貢献したい

渡久山 和子(とくやま かずこ)さん

とくやま洋裁店オーナー
商工会議所エキスポバンク エキスパート
宮古青色申告会女性部 部長

地場産業の普及と後継者育成を…

 今回は50年以上も島の洋裁店として愛され続ける「とくやま洋裁店」の渡久山さんにこれまでの活動と今後のビジョンを聞いて来ました。

これまでの活動を教えて下さい。
 私は商工会議所女性部設立時の会員で、10年以上会長を務め沖縄県より表彰された経験があります。その間、宮古島で物産展やファッションショーなどのイベントを開催したり、宮古工業高校の生徒さん達に製図、縫製を教えたり、琉球大学で衣食と宮古織の講演をさせていただいたりと多くの経験をしてきました。
 50代の時には日本デザインクラブという団体が主催したコンテストでグランプリを受賞しました。また、趣味の俳句と詩吟を通してたくさんの方に出会うこともできました。今思えば一生懸命では無くても充実した時間を過ごしてきたと思います。現在は沖縄県商工会議所でファッションコーディネートのエキスパートとしての指導や宮古青色申告会女性部部長として活動しております。

ファッションに興味を持ったきっかけは?
 私は生まれは多良間島、育ちはコザ市(現在 沖縄市)です。お洒落だった母親の影響で小さい頃からファッションに興味がありました。洋服はほとんどオーダーメイド、姉達が読んでいたファッション雑誌が愛読書でした。小学校高学年の時、本で素敵な水着を見つけて同じような水着を仕立ててもらいましたが、伸縮性のある布ではなかったので泳ぎ辛かったです。その時ファッションには機能性も大切だと思ったのを鮮明に覚えています。高校は宮古高校家政科に一年間在籍、その後家族の引っ越しを機にコザ高校家政科に転入しました。兄が世界的に有名な洋食器ノリタケチャイナの販売店を経営していたこと、高校卒業後に嘉手納基地に就職したことなどもあり、身近に英語とファッションがありました。

とくやま洋裁店を開いたきっかけは?
 私は結婚が早く20代の前半でした。宮古島出身の主人と出会い、結婚を機に宮古島に移りました。当初は環境の違いから身体を壊し、食べ物を受け付けず実家に戻って治療したこともあります。自分自身の基盤を作りたいと始めたのが「とくやま洋裁店」です。子供達の学校のPTA活動や商工会議所女性部の活動を通して知人や友人を作り、もう50年以上もこの島でお店を経営できていることに感謝しています。最近になって思ったのですが、あまり島のためになることをやっていないのではないか、私に出来ることがあるんじゃないかと考えていました。そこで地場産業の普及と後継者育成のため洋裁の講座を開こうと思いました。最近のファッション業界は下火です、ミシンを踏む技術者も減ってきています。賃金の問題から海外製の既製服がほとんどです。もっと自分らしいファッションを自分のアイデアで作ることが出来たら楽しいと思います。宮古染や宮古上布などを取り入れてもっと気軽に伝統品を楽しんだら素敵だと思います。まだまだ予定ではありますが、10月からの開講を目指して準備中です。

講座の概要を教えて下さい。
 あくまでも今の段階でのお話なのですが、予定では5名限定で受講者を募ろうと思っています。受講料は無料、材料費のみになります。最初は小物づくりから始めて、最終的にはお洋服の縫製までです。縫製の技術を趣味にするのか仕事にするのかは受講者次第です。自分でデザインして自分の服を作ったり、子供の服を作ったりするのはとても楽しいです。今日私が着ている服(写真右)は宮古島の海と砂をイメージして作った宮古染めの生地から作りました。とても好評で同じ生地で商工会議所女性部の制服も作りました。服作りの楽しさを自分も楽しみながら伝えていきたいです。80歳を超えてからの挑戦ですが自分自身の集大成という思いです。

今後の楽しみは?
 俳句と詩吟が趣味なので俳句や詩吟の勉強会、茶話会なども主催してやりたいです。私は宮古島が大好きです。この島で多くの方に助けられて今までこの店を経営してきました。そして島の移り変わりをこの目で見てきました。変わっていくことは良くも悪くも仕方がないことではありますが、人と人との助け合う心、繋がりは変わらないでいて欲しいと心から思います。

 裁縫をお仕事にされている渡久山さん、講演での挨拶文や事業、イベントの計画などもきちんと文章にして丁寧に保管されていました。きめの細かいお仕事に実直な人柄が分かります。裁縫に興味のある方は「とくやま洋裁店」を訪ねてみてはいかがでしょうか?

2025年10月号掲載