川満 昂弥(かわみつ たかや)さん
第82回選抜高等学校野球大会 優勝
第92回全国高等学校野球選手権大会 優勝
興南高等学校 投手
下地中~興南高校~日本体育大学
島を離れて目指した場所
2010年の全国高等学校野球選手権大会で沖縄県代表の興南高等学校が春夏連覇したことを皆さんは覚えているでしょうか?その選手の中に宮古島出身の選手がいたことをご存知でしょうか?エース島袋洋奨選手の2番手投手として活躍した川満昂弥選手です。
今回はその時の様子や心境などを取材しました。。
■興南高等学校に入った経緯を教えて下さい。
スカウトで入りました。当時の監督である我喜屋(がきや)監督が直接、下地中学校に来て下さり、「ぜひ興南に来てほしい」と言われました。その時の僕は、興南高校に行くか沖縄尚学に行くか迷っていましたが、監督が直接来て下さったので興南高校に行く事に決めました。
■興南高校の練習はどのようなものでしたか?
プレー1つ1つが細かく丁寧で、それをキッチリと行っていました。野球人生の中で一番きつい練習でした。絶対に戻りたくありません。いくらお金を積まれても戻りたくないくらいですね(笑)。また主力選手として投手の島袋選手と、選抜の大会で8打席連続ヒットの記録と選抜の大会通算13安打数タイ記録を打ち立てた我如古(がねこ)選手がいました。この2人の練習量は凄かったです。あまり多くを語るタイプではなく行動で見せるタイプでした。この二人がよく練習していたのでみんな休むに休めず、感化されてよく練習しました。やはり二人のようにみんなを引っ張る選手がいることは大事だと思います。
■甲子園に出場した時はどういう心境でしたか?
僕は1年生の夏と2年生の春と夏に甲子園に行きましたが、球場に行った時はその雰囲気に圧倒されました。2年生の夏、1回戦の鳴門高校との試合と準々決勝の聖光学院との試合で投げました。監督に「次行くぞ!」と言われた時は、「うわぁーマジか」と思いました。マウンドに立った時は思いのほか、マウンドからホームベースまでが近く感じたのを覚えています。とても緊張しました。緊張で投げた時のことをあまり覚えていませんが、限られた人しか経験できない舞台に立てた事は生涯忘れられない経験です。また僕が投げたわけではありませんが、選抜の大会の2回戦で、和歌山県代表の智弁和歌山高校と対戦しました。智弁和歌山高校といえば応援が有名なのは知っていましたが、実際球場で聞いた時の音の大きさ、応援席の雰囲気はとても凄かったです。「これが智弁和歌山を勢いづかせる応援か」と思いました。

■当時のメンバーだからこそ知るエピソードはありますか?
春の選抜大会で優勝してから、夏の大会で優勝するまで、練習試合含めて1回も負けたことなかったです。あの時の打線は強力で春夏の決勝どちらも2桁得点で勝ちました。どこからでも点が取れるチームでした。またエースはトルネード投法の島袋選手で、大量失点をしている場面を見た事はありませんでした。そんな島袋投手でしたが、紅白試合の時はめちゃめちゃ打たれてましたけどね。島袋選手が投げるのをいつも見ていましたし、配球も何となく分かっているのでみんなばかばか打っていましたね。逆に抑えている所をあんまり見た事なかったくらいです。

■当時印象に残っている選手などはいますか?
対戦したわけではないですが、履正社高校にいた山田哲人選手の人気は凄かったですね。オーラがあって当時から人を惹きつけるスターの感じありました。また開会式で見た、花巻東高校にいた菊池雄星選手は体がデカくてびっくりしました。「大投手になるにはこのくらいのフィジカルが必要なのか」と感じましたね。
■高校野球から何を学びましたか?
一番は「継続する事の大切さ」を学びました。甲子園に出場する、そのマウンドに立つ、という夢に向かって毎日キツい練習に耐えること、またそれを継続することによって夢に一歩ずつ近づくことができることを実感しました。また自分の事は全て自分でやらなければいけない寮生活という面でも多くを学ぶことができ、生活を支えてくれている両親や関係者の方に感謝の気持ちを持つことが出来ました。
川満昂弥さんは現在は結婚し子供も一人いて、宜野湾にある会社で働いているようです。これからも野球を通して学んだことを生かして活躍していく事でしょう。
2025年8月号掲載