一筋の光を願って・・・

一筋の光を願って・・・

三浦 美穂( みうら みほ)さん

ホリスティックヒーリングPANARINAオーナー
精神保健福祉士

今を幸せに生きる

 宮古島に魅了され、北海道、宮古島を行き来しながらホリスティックヒーリングPANARINAを開業し、また「ぱなりな」という本を出版した三浦 美穂さんにお話を伺って来ました。

ご自身の紹介をお願いします。
 1967年北海道出身、既婚。2003年に宮古島に暮らし始め、2009年に宮古島でホリスティックヒーリングPANARINA~パナリナ~を開業し現在は北海道と宮古島を行き来しながらヒプノセラピーを始めとするヒーリングやセラピーを行う活動をしています。

宮古島移住のきっかけを教えてください。
 23歳の時から精神科病院で精神保健福祉士として働きました。仕事にやり甲斐を感じて熱中し、天職だと感じていました。しかし多くの患者さんの悩みの前に力不足を痛感し、悩むことも多くなり眠れなくなりました。やがて自らが難治性うつ病と診断され、寝たきりになり大学病院に2度入院しました。症状が重くて、医師から「あなたを治す薬はこの地球上に存在しない」とまで言われました。それでも仕事をなんとか続けていましたが、とうとう36歳の時、3度目に倒れた時には、もう社会で働くことができないと諦め、大好きだった仕事を辞め無期限の療養生活に入りました。その時、一緒に働いていた精神科医が「宮古島に行ってカンカカリャ※に会ってみたらいいよ」と勧めてくれたのが初めて宮古島に来たきっかけです。彼は「文化精神医学」の研究を熱心にしていた人で、かつて宮古島にユタの研究に来ていて、島の癒しの力を知っていたんですね。

病が回復したきっかけや出来事などを教えてください。
 初めて宮古島に来た時「あれ?なぜ今までここに暮らしていなかったんだろう」と思うくらい、自分の故郷のように落ち着く感覚がしました。帰ってから宮古島で暮らしてみたいと夫に話しました。それまで暗い顔をしていた私が明るく希望を語ったことに驚いたと思います。3か月後には単身で宮古島暮らしが始まりました。

 暮し始めてすぐに「FMみやこ」のボランティアパーソナリティになり、局の皆さんに温かく接していただき、島にまつわる様々なことを教えて貰いました。それから半年ほど経ってから、美しい海があると聴いて、船に乗り八重干瀬に行きました。この世のものとは思えないほどの美しい海を見て、自分でも気づかないうちに大声で叫び続けていました。その時の衝撃は今でも忘れられません。船長に島暮らしのきっかけを話したら「宮古島の海を泳いだら元気になるさ」「お金は要らないから、これから毎日船に乗りなさい」と言ってくれたんです。そしてその日以降、船の仕事を手伝うことになり毎日八重干瀬で泳ぎました。仕事は過酷で肉体労働は苦しく、何度も体が悲鳴をあげましたが、海の魅力に取りつかれて、休みたいとは思いませんでした。そんな生活を3年も続けていたら、ご飯もモリモリ食べられるようになり、夜もぐっすり眠れるようになりました。

 そして、今も暮らしている借家の大家さんの家族にもよくしてもらっています。毎日のように玄関前に無農薬で育てたお野菜が置いてあり、まるで家族のように大切にしていただいています。宮古島の眩しい太陽と美しい海、美味しい食事。そしてなにより出会った島の方達の優しさのお陰で私は徐々に元気になれました。

今後の展開を教えてください。
 昨年、宮古島暮らしのきっかけや経験を1冊の本にまとめた「ぱなりな」を出版しました。私の経験が、かつて人生を諦めていた私のように、悩みを抱えて人生を諦めている人の一筋の光になることを願って書きました。現在はヒプノセラピーやヒーリング、クリスタルボウル瞑想やローフードのワークショップを行っています。

 また「宮古島リトリート」と題して、宮古島の様々な場所を巡りながら島の圧倒的な癒しを受け取る体験も提供しています。これからは癒しを求めて島に来てくださる方が、スムーズにセラピーを受けられるような場所を分かりやすく作っていくこと、そして島で癒しを学べるよう、スクールの充実を考えています。この島に暮らす方にもセラピストとして活動していく未来を提供したいと思っています。癒しを求めて島を訪れる多くの方が、島の癒しの魅力とともに全国に癒しを拡げて、多くの方々が癒されてありのままの自分で幸せに暮らせる未来を創造していきます。

 とても読みやすい本です。ブックスきょうはん・Amazonで販売していますので是非購入して三浦さんの願いを受け取ってみてはいかがでしょうか?

※カンカカリャとは神に関わる人

ホリスティックヒーリングPANARINA
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2024年8月号掲載